キリスト教諸教派における中絶の位置付けはどうなっているか

今北産業様向け報告書
キリスト教には諸派あるけど、スウェーデン国教会みたいに、中絶の権利の熱心な推進派の教会もあるよ。なんとカトリックでも、今の教皇は中絶を「罪ではあるが容認(罪を自覚して告解するなら赦しを与える)」派だよ。
・ガチガチの中絶反対派は「アメリカの福音派」「カトリック守旧派ポーランドとか)」あたりだよ。彼らは、自分たちが「多数派・支配層に弾圧されている」「自分たちの信仰の自由を守る必要がある」という考えから中絶を禁止したがっているよ。
アメリカでは福音派は確かに1教派としては最大だけど、もう無宗教無神論者・不可知論者含む)の割合は福音派を上回っているよ。

宗教的背景がー価値観がーっていう人が多かったので、じゃあ今キリスト教諸派はどのような立場をとっているかについてまとめておくね。
といっても宗教については、院で短期間宗教政策論をやったくらいの素人なのですが。

前の記事の補足なので、こちらを先に読んでからご覧ください。

aquatofana.hatenablog.com

 

※寝る前にザクっと書いたので、明日多少直すかも。

 

最初に、ピュー・リサーチ・センターの調査を貼っておく。


以下のページのスクショだ。色々面白い調査結果があるので、関心のある方は是非見てほしい。

https://www.pewresearch.org/religion/religious-landscape-study/#religions

 

1)キリスト教と言っても一枚岩ではない
そもそも、バイデン大統領自身が「リベラルなカトリック」であり、彼と指名を争ったバーニー・サンダースは、無神論者の一種に分類される不可知論者だ。

プロテスタントだけでも、日本では大日本帝国時代の国の統制に従う形でプロテスタントは「日本基督教会」という一宗派という形を取ったが、実際にプロテスタントどという宗派はなく、「西方教会のうちカトリックから独立していろんな教理を抱えた大量の教派」がプロテスタントだ。
ゆえに、彼らの主張も保守的なものから革新的なものまで幅広い。

そもそもプロテスタントの「主流派」である「エキュメニカル派(リベラル派)」は、「聖書はあくまで寓話」くらいの位置付けで見ている。彼らの多くは中絶容認(プロチョイス)側である。まあ、フェミニスト神学なんてのもあるくらいなのでな。
これが14.7%と、福音派よりは少ないものの、そこそこの割合を占める。

主流派の中でも特徴的な教派の一つは、クエーカーだろう。クエーカーオーツのクエーカーな。彼らは「神の前の平等」と「内心の信仰体験」を重視する極めてフラットな集団で、人種差別や性差別などを徹底して排除している。なので教団内での女性の地位も昔から比較的高かったし、第二次大戦中は日系人の権利を守る活動をしていた。第二次大戦後も、「アジアの敵国だったから」となかなか日本のための人道支援が認められなかった時に、仲立ちとなって日系人組織を公認させ、かの有名なララ物資による日本支援を実現させたのも、クエーカーの女性である(のちに東京の普連土学園・園長を務めたエスター・B・ローズ氏)。

クエーカーはそれこそ一人一派というくらい考え方に幅があって(なにしろ不可知論者のクエーカーなんてのもいるみたいなので)、教派としての統一見解を出している訳ではないのだが、ざっと調べたところ、「避妊は100%成功する訳ではないのだから、中絶という課題に目を背けずきちんと向き合う必要がある」「女性を守るための必要悪」「まずは中絶が必要とならないように性について学ぶことが重要」といった見方がちらほらと見受けられる。プロチョイスよりの中道といったところだろうか。

革新側でいうと、スウェーデン国教会(ルター派)は中絶を含む女性の性的自己決定権やセクシュアル・リプロダクティブ・ライツの強力な推進者であり、完全なプロチョイス派である。まあ、ここはそもそも20世紀後半から「女性聖職者」「同性愛聖職者」などの、他の教派ではいまだに検討すらされないような課題についてもバンバンクリアしてきてるような先進的な教会なので、そりゃそうなるだろうなという感じ。アメリカでは大都市にのみ教会を持っている程度でたいした勢力ではないが、国際的なSRHR界隈では大変存在感のある教派と言える。

中絶反対の代表のように名が挙げられがちなカトリックはどうか。といってもカトリックも一枚岩ではなく、それこそ「第二の宗教改革」と呼ばれ、バチカンからは徹底的に拒絶されている解放の神学から、フィクションではだいたい悪の秘密結社になっているイエズス会出身の現教皇フランシスコのような穏健派、ヨハネ・パウロ2世ベネディクト16世などの保守派など幅広い。

なかでもフランシスコは2015年から始まった「いつくしみの特別聖年」で「妊娠中絶をした女性に許しを与える権限を司祭に認める」とし、この「許し」の権限は翌2016年に特別聖年が終わってからも無期限で継続すると宣言した。中絶を推奨はしないものの、必要悪としての事実上の容認である*1

フランシスコは他にも多産を否定し、避妊を推奨するなど、リプロダクティブ・ヘルス/ライツの視点でカトリックの従来の姿勢から大きく舵を切っている。なんでラッツィンガーの前にあんたが選ばれてくれなかったんだ。まあ、ヨハネ・パウロ2世の影響が強すぎたわな。。。

 

2)アメリ宗教右派の根っこにある「被害者意識」と「権力への抵抗」「自由の追求」

一方、保守派の代表はといえば、一連のアレソレでもちょいちょい名前の上がる福音派である。政治の文脈で福音派といった場合、「宗教右派」のことを指していることが多い(前述のクエーカーも、「カトリックを批判し聖書に立ち戻ろうとした」という意味では広義の福音派に含まれる。しかし、アメリカの宗教分類では「主流派」に入れられている)。

アメリ宗教右派についてはそれこそ詳しい人がたくさんいるので、それこそこういうところとかこういうところとかを見ていただくのがいいと思う。ざっくりいうと、「聖書原理主義であり」「政治に積極的に関与することで理想のキリスト教国家を作ろうとしている」という、ありていに言って創価学会の上位互換みたいなもんである(日蓮も政治に関与することで、理想の極楽浄土を日本に造ろうとしてたからね)。

また、彼らは、自分たちの信念、「聖書を字義通りに解釈することによって導かれる正義」を推進することを「抑圧からの解放」「宗教的自由の行使」と定義しているという特徴がある。彼らはあくまで自分たちが弱者側にいると思っているわけだ。

だから、2016年には「多数派、強権、リベラル、フェミニズムなど『自分たちを抑圧するもの』の象徴であるヒラリーから正義を守るために、福音派の価値観には必ずしも合致しないところがあるトランプを選ぶ」という行動をとった。
元々、アメリカは「大きい政府」には懐疑的なところがあって、ドラマや映画なんかでも『連邦』政府は結構悪の親玉だったりするのだが、その懐疑心が教派としての被害者意識にまで達してしまっているのが福音派の特徴といえよう。

ここまで来ると、中絶禁止が彼らにとってなぜこれだけシンボリックなことなのかがわかる。「無辜の子ども」はまさに「リベラルに抑圧されて死ぬ無力な被害者」であり、「多数派に信仰の自由を脅かされる自分たち」を代弁するような存在だ。だからこそ、たとえレイプや近親相姦によるものであっても、中絶は許されない、という理屈になる。
まあ、その考えを正当化するために「本当にレイプなら妊娠しない*2」とかの非科学的なことを主張してしまうんだけども。これは、上述の被害者意識と公正世界仮説が組み合わさってできた妄想であろう。

これと同様の考え方は、ヨーロッパにおけるカトリック保守派の一部にも見られる。前述したフランシスコのリベラルな姿勢は、カトリック保守派からは否定的に見られており、実際に保守派のバックラッシュが、東欧を中心とした一部の国で広がり始めている。

2020年のポーランドでの中絶禁止法可決は、カトリックバックラッシュの象徴だ。
特にポーランドは自分たちはカトリック、つまり西欧側だがロシアに無理やり共産圏に組み込まれたという認識があり、その象徴として共産主義(=無神論)によるカトリック信仰の剥奪が位置付けられているため、カトリック保守主義が国民アイデンティティの中に強く根付いている(ポーランド人であったヨハネ・パウロ2世は、同国の民主化運動の精神的支柱だった)。保守・反動的な思考を持ちながら、信仰に基づく被害者意識、抑圧への敵意が強く魂に刻まれているという意味で、ポーランドカトリック保守の意識はアメリカの宗教右派と近い精神性を持っているといえよう。

ポーランド以外では、ハンガリーでも大きなバックラッシュが見られる。また、全ヨーロッパの保守派が連携して伝統的な価値観を取り戻そうとする動きがあり、その背後にはアメリカの保守派がいるとも言われている。*3

みんなだいすきUN Womenもこの問題については報告書を出しているのを見つけたので、私も後で読む。*4

他にも正教会は、たとえばロシアとかはガチガチの保守だと思うんだけど、詳しくないので誰か補足してほしい。

スウェーデン教会の国際会議での発言を調べていたら、UNFPAスウェーデン教会と共同でこんな資料を作っていたので、これも後で読む)

 

3)アメリカでは、すでに「無宗教無神論者、不可知論者含む)」が3割で、福音派の25%を超えた

福音派バックラッシュによって実現したトランプ政権、およびその下で強引に歪められた最高裁の天秤の傾きにより、アメリカの一部ではあらゆる中絶が違法とされることは、もはや避けられないだろう。とはいえ、それが長く続くとは考えられない。
最初に貼ったピュー・リサーチセンターの調査を見ればわかる通り、すでに「無宗教(特定の宗派に所属しているとは思わない)」は福音派を超えて、アメリカ最大の「教派(?)」となっている。

また、福音派以外の教派もカトリックの21%、主流派(自由主義神学を取るプロテスタント)の15%など、馬鹿にできない数がいる。カトリック保守派あたりは今後、ヒスパニック人口の拡大で多少なりとも増加するかもしれないが、福音派が増える道筋は見えてこない。都市化と有色人種の増加によるアメリカ全体のゆっくりとしたリベラル化は、共和党がどれだけ選挙妨害(ここでは繰り返されるゲリマンダーや有色人種の投票を妨害する本人確認の厳格化、投票所の削減などを指す)を進めようとも止めることはできないだろう。

福音派が教科書を改竄しようが、科学教育を妨害しようが、アメリカは自由の名の下に変わっていく。いずれは、本当に「福音派福音主義を信じる自由」が、他の誰にも迷惑をかけることのない、本来の意味での自由の範囲に収まる日がくるはずだ。彼らは被害妄想を続けるかもしれないが、彼らが他者の自由を侵害しない限り、リベラルは彼らに寛容であろう。
リベラルが「中絶を禁止する権利」を認めないのは、「それが現実に誰か(主に女性、子ども、貧困層)を害することにつながる」からだ。

「自由とは、周囲に迷惑をかけない範囲で、思うがままに振る舞う権利である」(フランス人権宣言)

だからといって、今、危機を迎えている人たちに「数十年後にはマシになるからおとなしく待っていろ」というわけにはいかない。
リプロダクティブ・ヘルス/ライツの特徴として、「感染症などと違って社会的に迅速な対応が必要な危機ではないが、個人単位では『今すぐ』対応しなければ手遅れになってしまう」という点が挙げられる。
いま、避妊手段を手にいれなければ、いつ妊娠してしまうかわからない。
いま、中絶することができなければ、胎児は成長し、母体への負担が大きすぎて中絶ができなくなる。
だからこそ、中絶の権利を守る活動を応援し、声を上げていかなければならない。1日でも長く、中絶の権利を守るために。1日も早く、中絶の権利を取り戻すために。

なぜ「中絶の権利」が守られなければならないか(少し追記)

今北産業様向け要約
・中絶を禁止しても女性が出産するわけじゃないよ。むしろ違法な中絶を行ったり、産んだ子を殺したりという形で、胎児と女性の両方を危険に晒すよ。
・具体的には、望まない妊娠の6割は中絶で終わり、そのうち45%が「危険な」(医学的でない)中絶だよ。
アメリカはもともと、先進国では妊産婦死亡率が高い国だよ。しかも人種差が激しく、より貧困な黒人・ヒスパニックのほうが死亡率が高いよ。もちろん、彼らは中絶が禁止されれば「他所に中絶してもらいに行く」ことができなくなるので違法な中絶を行う可能性が増えるよ。→1行目に戻る


懸念されていたニュースが飛び込んできた。アメリカで中絶の権利を認めた「ローvsウェイド判決」を覆す最高裁判決案がリークされたというのだ。すでに共和党は「オバマ政権終盤の民主党による最高裁判事指名を『前例を踏襲して』控えるように強いた一方で、トランプ政権末期の最高裁判事指名を強行する」という形で、最高裁判事のバランスを保守側に大きく傾けていた。この動きに呼応して各州で設置された「中絶禁止法」は、それ自体が目的ではなく、あえて保守派に傾いた最高裁まで訴訟を持って行かせることで、ローvsウェイド判決を覆すことが狙いだった。故に、この日が来ることは、5年前から皆が恐れていたと言ってもいい。

詳しい法律的な問題は専門家に譲るが、本件記事に関するブコメで「なぜ女性の権利が胎児の権利に優先されるのか」という純朴な疑問を掲げるものがいくつかあった。私だって元はカトリックであり、そうした感情をわからなくもない。しかし、中絶合法化をめぐるさまざまな状況を知っていると、実は「胎児の権利を守るために中絶を禁止する」というのはそれ自体が絵に描いた餅でしかないと身に染みてわかるのだ。

何度でも繰り返すが、これだけは覚えて帰ってほしい。

『中絶したくて妊娠する女性はいない』。

中絶は肉体的にも精神的にも大きな負担があり、最も安全な投薬による中絶であっても痛みや出血などを伴う。中絶は女性のわがままではなく、「致し方なく選ばざるを得ないもの」に過ぎない。

 

1)中絶禁止は胎児だけでなく、母体も危険にさらす

大概の中絶禁止国であっても、「母体に危険があるときを除き」、つまり母親の命に差し支えるときは中絶しても構わないと認めていることが多い。ならば母体は安全だろう、と思ってしまうのが人の常だが、実際には中絶をギリギリまで医師が拒否した結果、母体の死をもたらすことがある。

これを明確に示した比較的新しい事例は、アイルランドで2012年に起きた。
同国で歯科医として働いていたインド人女性、サヴィタ・ハラパナバルさんは、妊娠17週で流産の危険があったため病院に運び込まれた。彼女はその後破水したが胎児は体内に残ってしまい、彼女とその夫は「母体を守るために」中絶を求めたが、病院職員は「胎児の心拍が確認できる限り中絶はできない」と処置を拒否。その結果、胎児は心停止後に摘出され、ハラパナバルさんも1週間後に敗血症で亡くなった。

アイルランド最高裁は1992年、「母体に(自殺の可能性を含む)生命の危険がある場合は中絶を行ってもよい」との判断を示している。最大限好意的にみた場合、ハラパナバルさんを担当した医師たちは今回のケースがこの例外規定に該当するかを判断できなかったために中絶を拒否したということになる。

これは日本でレイプによる中絶においても医師が「相手男性の同意書」を求めるのと似ている。これについては以前の記事で書いた。

aquatofana.hatenablog.com

ともあれ、本件がターニングポイントとなり、アイルランドでは2018年に中絶が合法化されることとなった。

これはあくまで「中絶すれば母体が確実に助かる医療技術のある国」の、限界ギリギリのケースと言える。では、それ以外の国ではどうなるか。
「仕方なく子供を産み、健やかに育ててくれるだろう」というのは、あまりに楽観的な考え方だ。実際には、女性たちは違法な中絶を行ったり、生まれた子供を殺したりする。そして、その過程で女性たち自身も命を落とすことは、それなりの頻度で発生している。

WHOによると、望まない妊娠の61%、全ての妊娠の29%は中絶によって終了する(ということは、全ての妊娠の半分が望まれなかった妊娠ということだ。避妊手段へのアクセスが大切なことがわかるが、これはまた別の話題)。
この「中絶」のうち45%は「安全ではない中絶」だったと推測されている。「安全でない中絶」には、怪しい薬を飲むことから棒を突っ込んで掻きだすことまで、近代医学的ではないあらゆる手段が含まれる。そして、この過程で不妊になる女性はもちろん、命を落とす女性もいる。現在、年間およそ30万人の女性が妊娠・出産で命を落としていると推計されているが、このうち4.7~13.2%は危険な中絶によって発生したと考えられている。数字にするとざっくり1万4000人〜4万人となる。*1
5/7追記:日本で今も主流の「搔把法」は、WHOの定義では「安全ではない(Less Safe)」「近代的とは言えない、非推奨」となっている。


いうまでもないが、母体が死んだ場合は胎児も(中絶に成功しなくても)死んでいる。

 

2)望まれなかった子どもは虐待・育児放棄され、最悪、死ぬ

仮に子どもが生まれたとしても、その子どもが健やかに育つとは限らない。たとえば、日本では、児童の虐待死で最も多いのは「生まれたその日」だ。*2
これは、生まれた子どもを育てることができないと判断した母親が、自ら子どもを殺してしまっていることを意味する。

中絶できなかったなら、子どもを育児放棄もしくは「間引き」として殺す。これは人類史上いまに至るまで行われてきており(石器時代には最大で5割の子どもが殺されていたという説もある)、日本ではそれが捕捉されて「虐待死」として計上されているけれども、多くの国ではそのまま闇に葬られていることは想像に難くない。

これは、「ヤノマミ族の母親は、産んでからその子を育てるかどうか決めるので、育てないなら殺す慣習がある。そういう文化もあるんやなあ」とかいうエキゾチシズム溢れる話ではない。

国連では、先進27カ国だけでも毎年少なくとも3500人の子ども(15歳未満)が肉体的な暴力により虐待死していると報告している。*3

日本小児科学会は、虐待死は日本だけで年間350人に上るとしている。*4


死なないまでも、2-4歳までの子供の75%、300万人が保護者による虐待を受けているというのがWHOの観測だ。WHOは「統計上、毎年4万人が虐待死していることが判明しているが、その裏には落下や火傷、溺死などの事故死として処理されている虐待死が相当数あるはずだ」と警告を発している。*5

中絶を禁止されたせいで産まれてしまった子どもは、それだけでは健やかに生きられることは保証されていない。むしろ、虐待に満ちた厳しい人生を送るリスクが高くなる。まともに人生を送る前に死亡するリスクすら高いのだ。

 

3)差別と格差の再生産装置としての中絶禁止
そもそも、中絶したくてもできなかったケースというのは、「避妊や中絶の手段がなかった」ケースであることが少なくない。性的虐待であったり、レイプであったりと、性行為そのものが同意の元にないケースもあるだろう。あるいは、「どんな手段があるか、どこで手に入るか知らなかった」というケースも考えられる。そして、単純に「手に入れるための手段(お金:無料で配布しているとしても配布場所まで行く交通費や交通手段)」がなかったために防げないというケースもありうる。日本の場合は特に、避妊手段を手に入れるハードルが高く、種類が少なく、価格が高い。

こうした事情から、中絶を禁止することでより大きな影響を受けるのは、貧困層の女性である。そして、それが人種格差と結びついているのがアメリカの特徴とも言える。
実際にアメリカでは「黒人女性の妊産婦死亡率は、白人女性の3倍(ネイティブアメリカンは白人の2倍)」という統計があるが*6、これは貧困ゆえに良質の医療を受けられないことが原因となっている。普通の出産ですらこれだけ差が出るのだから、自ら住んでいる州で安全な中絶が受けられない場合、「危険で違法な中絶」か「貧困や虐待のなかで出産し、貧困と虐待を再生産する」の2択になるわけだ。若年死のリスクが、「中絶が禁止されたら他所でやってくるわ」と言える富裕層よりも高いのはいうまでもないだろう。*7

 

4)中絶を減らしたいなら、女性が選べる避妊手段を増やし、生まれた子どもを社会で育てる必要がある

妊娠・出産は、女性に肉体的・経済的・社会的に大きな負担をかける。このうち、肉体的負担については、医療制度や産休・育休制度の充実と職場復帰権の確保などで間接的に支援するしかない。つわりに効く薬などろくにないし、無痛分娩だって痛いのだ。そこは、どんな手段を持っても(人工子宮が存在しない現在は)肩代わりすることはできない。

だとすれば、それ以外の負担をできるだけゼロに近づければ、中絶をしないでおきたいと思う女性は、多少なりとも増えるはずだ。
いわゆる「こうのとりのゆりかご」、熊本慈恵病院の取り組みは、こうしたアプローチの一つだと言える。

同病院が近年進めようとしている「匿名出産」も、実は子どもの虐待死を阻止するためにヨーロッパで始まった仕組みである。フランスでは17世紀、スウェーデンオーストリアでは18世紀に匿名出産の仕組みが導入された。スウェーデンでは一旦、この制度は廃止されたのだが、その時期に不倫の子を宿したアストリッド・リンドグレーンデンマークで匿名出産し、成功してのちに里子に預けていた子どもを引き取ったという。
里子や養子縁組制度の充実と積極的な活用も、「今は育てられない」女性と子ども(および、なんらかの理由で「産めない」人たち)を助ける手段となるはずだ。

また、スウェーデンとフランスは、先進国の中では比較的出生率が良好なことで知られているが、スウェーデンでは70年代の労働力不足期に女性を労働市場に導入するために配偶者控除を廃止するとともに、児童福祉制度を充実させた。フランスはフランスで家庭に占める子どもの数が多ければ多いほど所得税が軽減され、さらに子どもの数に応じて家族手当が社会保障の一環として支給される仕組みを通じて、「子どもは自分で育ててもいいし、他人を雇ってもいい」という制度を整えている。

前段で、「中絶を禁止したせいで生まれた子どもは、貧困や虐待の中に置かれ、貧困と虐待を再生産するリスクが高い」と書いたが、それを少しでも食い止めようという考えが、これらの制度の背景にある。
日本も民主党政権時代に導入しようとした「子ども手当」は、子育てを家庭で行うものから社会で行うものへとパラダイムシフトさせる転機になり得たんだけど、潰されちゃったね。

中絶反対論について、私の中で記憶に残っているのは、二人のカトリック聖職者の対比だ。
ヨハネ・パウロ2世は「中絶はするな」というだけだったが、マザー・テレサは「中絶するのだったら、産んで私たちのところに連れてきてください。私たちが育てます」と言った。本当に中絶を減らしたいのであれば、後者の態度を取るべきだし、態度だけではなく行動で示すべきだ。匿名出産制度を考案した聖ヴァンサン・ド・ポールや、こうのとりのゆりかごを運営する熊本慈恵病院のように。また、政治家なら経済的支援制度を提案する力があり、責任もあろう。

いうまでもなく、避妊・緊急避妊へのアクセスを拡大し(選択肢を増やし、価格を低減する)、中絶以前に望まない妊娠ができる限り発生しないようにすることが、最も重要なことは当然だ。それすらも力を入れるどころか、逆に阻止しようとする人たちが多い中で、中絶だけはするな、責任は取らないというのは、あまりに身勝手な態度といえよう。

最後に、中絶ではないが、フランスにおける経口避妊薬の合法化にあたってのエピソードを一つ引用したい。
経口避妊薬合法化法案を提案したルシアン・ヌウィルは、経口避妊薬の反対派だった党首のシャルル・ド・ゴールに対し、1時間近くその重要性を訴えた。ド・ゴールはただ沈黙して彼の話を聞いていたが、最後に「あなたのいうとおりだ。命を繋ぐということは大切だからこそ、明確な意思に基づく行動でなければならない。進めなさい」と答えたという。ヌウィルは自らの誕生日にこの法案を提出し、審議の末に採択された。
慣習通り、この法律は彼の名をとって「ヌウィル法」と呼ばれている(彼自身も「ピルのルルくん」という二つ名をつけられたらしい)。

「すべての人は、自分の望む時に、望む相手と、望むだけの子どもを産み育てる権利がある」。子宮を持たない人にとって、それは「望まない時は捨てる」だけの話だったが、子宮を持つ人にとってはそうではなかった。望まなくても選択肢を与えられることなく、ただ負担を押し付けられ、子どもと共に二人分の苦悩を背負うしかなかった。
その不均衡を是正しようというのが、「セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」の考え方である。
自分達が何も背負わない人たちから見れば、女の身勝手、と決めつける向きもあろうが、それは女性ばかりではなく、子どもの命を守るための考え方でもある。

何度でもいう。
中絶したくて妊娠する女性はいない。

 

追記:

やはりブコメでも「中絶は殺人」という考えから逃れられない人がいるようなので、少し書き足し。

女性の権利を奪おうという悪意があってそう主張するのであれば別として、中絶に罪悪感を感じること自体はおかしくないと思う。実際に、中絶した女性たちもそれでスッキリするなんてことはなく、むしろそのことをずっと悩み続けて生きていることが多い。だからこそ、水子供養なんていう新興宗教ビジネスがはやるわけですよ。

それを踏まえた上で、中絶は刑法における「緊急避難」と同じ位置付けで考えるべきであろう、と私は判断している。なにから避難するのか、と言えば、上記のような母体の死、虐待死、貧困苦とそれに伴う若年死の危険といった、「胎児とその家族を待つ危機的な未来」からの避難である。

中絶したくて妊娠する人はいない。だから、中絶合法化は「さあみんな張り切って中絶しまくろう!」という話ではない。他の選択肢(避妊、アフターピル)をふんだんに、入手可能にした上で、どうしても避けられなかった事故においては、緊急避難という選択肢を認めようという話にすぎない。

中絶は殺人だから絶対ダメ、というのは、今はやりの話題で言うなら「ロシア人も人間だから殺しちゃだめ、ウクライナは抵抗せずに降伏しろ」というのと同じ感情論だ。前半の感情部分(どんな相手でも殺しは良くない)は理解する。が、後半(だから抵抗するな、だから中絶するな)を認めた途端に社会の公正さは失われ、力を以て危機を作り上げた側だけが利益を得て、被害を受ける側は失うしかない状況に置かれる。それを不公正と呼び、危機と呼ぶのだ。

だから中絶を減らしたければ、中絶しないことが不公正をもたらさない、少なくとも最小限にできる環境を整えてから声を上げるべきだ。それができずに、少なくとも何の努力もせずに感情論を叫ぶだけでは、何も解決しない。そんな大声は、ただのノイズにすぎない。感情はわかるよ、感情は。

5/7追記
宗教観云々みたいなコメントがいくつかあったので、そっちは別記事で補足しました。

一言で言うと、「福音派は権力に対する被害者意識が強く、被害者意識のシンボルとして中絶される胎児を見ている」って言う話です。

aquatofana.hatenablog.com

 


さらにおまけ

id:ROYGB さんのブコメにある「父親の中絶権」「社会の中絶権」。

それはただの人権侵害です。特に後者は。

先に後者、「社会の中絶権」からいくと、これは「人口を数字で考える(人口を増やす・減らす道具として女性の体を扱う)」ものだったり、いわゆる優生主義(障害者、特定の病気の保因者、特定の性別、などなどを「根絶」する)であったりするもので、明確に人権に反する考えとして国際社会では否定されています。

というか、リプロダクティブ・ライツという考え方が生まれてきたのは、そもそも1994年のカイロ国際人口開発会議がきっかけです。この時に、人口問題(具体的には人口爆発だったんだけど)へのアプローチとして、一人ひとりの権利として考え、セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(SRHR)の推進を通じて出産数を減らす方向性が示されました。

それまで、多くの国では人口増加を抑えるために、勝手に中絶や不妊手術が行われてきたっていう背景がそこにあります。で、これは今でも少数民族に対してやられてたりするわけです。みなさんご存知、新疆のウイグル人とか。そういう、「他人の体を数字のために操作する行為」は人権侵害である、という考えを明確に掲げたのが、この会議です。その延長上に、避妊や性教育・生殖教育、妊婦健診、男性を含むコミュニティへのさまざまな保健衛生啓発活動、施設分娩といったものが載ってきます。

で、前者の父親の中絶権っていうのは、母親と共に議論した上で、家族計画として中絶を選ぶって言うのはもちろんあり得ます。ただ、よくある「孕ませちゃったわ、おろしといてね」っていう、特に女性が出産を望んでいるのに強引に中絶手術を選ばせるやつにおいては、ただの虐待行為と認識しています。

ていうかさ、そういう状況でも、もし出産後男に頼らなくてもなんとかなる制度になっていれば、きっと「男と別れて産む」って選択肢が女性には出てくると思うんだよね。そして、女性にはその自由もあるよ、というのがSRHRの基本的な考え。

その一方で、これこの手の議論で忘れられがちなんですけど、「好きな人と、好きな時に、好きなだけ子どもを産み育てる権利」は、当然男性にもあります。私はその文脈としてインセル的な思想の人たちにも「救済策」は必要だと思っているんだけど、それは根本に「他人(女性)の権利の否定」を置くインセル的な主張を受け入れる形には絶対になり得なくて、どうすれば解決できるのかなあと、もうだいぶん昔から思い悩んでいたりします。

今のところ、インセル的な思想の人たちに考え方を変えてもらう形でしか、解決する方法が思いつかないんだけどね。
人口子宮とセクサロイドはこの分野の問題の大部分を解決すると思うんだけど*8、誰でもいいならともかく、「自分の望む相手の卵子/精子をもらう」ことを望むとすると、それは相手(望まれる側)の「好きな人と〜」の権利を侵害しちゃうからね。

 

id:casm さん

搔把法は、もはや近代的中絶法とは考えられていません。WHOは、「搔把法は安全な中絶方ではなく、時代遅れの手法なので、はよもっと近代的なやつに移行せよ」と勧告をだしています。近代的な手法とは、服用中絶薬(日本では未認可)とか、真空吸引法(日本でも最近ちょっとは増えてる)などです。

とはいえ、上に挙げた統計では、(病院で資格を持った医師によって行われる)搔把法は、安全な方に数えられているとは思います。ここで危険な中絶に分類される「棒突っ込んでかき出す」は素人(最悪、妊婦本人)がやるやつね。普通に搔把法、WHOは「安全じゃない」に分類してました。(下コメント参照)

この話題は遠見先生がとても詳しいので、ぜひチェックしてください。

www.nhk.or.jp

*1:https://www.who.int/news-room/fact-sheets/detail/abortion

*2:https://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/dv37/dl/9-2.pdf

*3:https://www.unicef-irc.org/publications/353-a-league-table-of-child-maltreatment-deaths-in-rich-nations.html

*4:https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG08H05_Y6A400C1CR0000/

*5:https://www.who.int/news-room/fact-sheets/detail/child-maltreatment

*6:2019年のアメリカ全体の妊産婦死亡率(10万出生あたりの母親の死亡数)は20.1(日本はだいたい5前後で推移しており、これが到達できる理論値と言われている)、白人は17.9だが、黒人は44.0で、後者は2017年のタイ(37)、スリランカ(36)、マレーシア(29)などより高い。
https://www.cdc.gov/nchs/data/hestat/maternal-mortality/2020/maternal-mortality-rates-2020.htm

*7:ちなみに、アラバマ州が定めた中絶禁止法では、「強姦した人物より中絶を行った医師のほうが刑が重い(禁錮99年)」https://www.bbc.com/japanese/48277708

*8:大学の生命倫理の教授曰く、人工子宮の発展を阻んでいるのは、生命の誕生に人が介入すべきではないと考える、科学者自身の倫理観であり宗教観である、とのこと。もしそういう要素があるのであれば皮肉な話だ。

日本の中絶にかかわる論点・まとめメモ

ショートバージョン:
・今の日本の中絶の主語(主体)は「医師」で、女性の同意は医師が中絶をするときに必要な前提条件の一つでしかないという構造が根本的な問題だよ。
・女性の同意だけでなく、パートナーの同意も、医師が合法的に中絶するための前提条件になっているよ。これを満たさない中絶は、医師の不法行為になってしまうよ。
・パートナーがいない場合は当然パートナーの同意はいらないんだけど、かつて厚労省が「実はパートナーがいるけどいないってことにして中絶、っていうけしからん女性が出てこないようにきっちり指導してね」と言ったので、医師目線だとパートナーの同意なしで実施するのはやっぱ怖くてできないよ。

解決案:刑法を改正し、堕胎罪をなくして、不同意堕胎罪のみにしよう。なおかつ、優生保護法を改正して、中絶は妊娠中の女性本人の同意だけで認められるようにしよう。

 私はこの分野を研究した訳ではなく、たまたま情報が集まりやすい仕事をしていただけなので、私が知っている範囲の論点をメモしておきます。 ご指摘、補足は歓迎です。

1:胎児の権利は、日本の現行法では存在しない。

 他の多くの先進国と同様、日本においてもヒトは基本的に出生を持って法的人格を与えられる(法律上、権利を持つひとりの人間とみなされる)。裏を返すと、母胎内にいる胎児は、どれほど成長していても、出生前は人とみなされない。出生の基準は、「胎児の一部分が母体から外に出た瞬間」となる。
 したがって、よくある「中絶は胎児の殺人」「胎児の意思を尊重していない/胎児の同意はどうなってる」は法的に全く無意味な主張である。これは、議論の大前提だ。
 実は相続においては例外があるのだが、中絶を論じるにおいては関係ないのでここでは論じない。

 個人的には、「胎児の権利を主張するのであれば、女性が出産を選ぶような対案・対策を提供すべきだ」と考えている。
 例えばマザー・テレサカトリックであるから中絶には反対だったが、ただ反対・禁止するのではなく、「中絶するくらいなら、私たちが育てますから産んであげてください」と訴えた。対案を提示しており、実績もある時点で、その主張には一定の理はあると、私は考える。熊本慈恵病院の「こうのとりのゆりかご(いわゆる”赤ちゃんポスト”)」も同じで、同病院はカトリック系であるために中絶は受け入れていないが、きちんと対案を提示している点で誠実と言えよう。

 実際、出産することの肉体的負担をフォローし、出産後の養育も養子縁組などの形で社会が完全に面倒を見る社会であれば、少なくとも経済的理由のみを原因とする中絶は減るだろう。それもできずに(対案を出さずに)女性に負担を耐えしのべというのは身勝手・無責任でしかない。

 中絶は精神的にも肉体的にも負担が大きい(日本では、経済的な負担も大きい)。この世に、中絶したくて妊娠する女性などいないのだ。プロチョイス(中絶権擁護)派は、中絶そのものより避妊などの手段で望まない妊娠を防ぐことを目指している。中絶は、望まない妊娠が防げなかった場合の苦渋の選択でしかない。そして、避妊手段に関して、日本は世界でも最低水準にある。女性の体がほとんど守られていない社会なのだ。中絶をやめさせたいというなら、このことを忘れてはならない。
 
 なお、私はプロチョイスの立場ではあるが、本来は「中絶が起きない社会を作らなくてはならない」という意味で中絶反対である。中絶を選ぶ女性に反対しているのではなく、中絶が必要となる社会に反対しているのであり、おそらくプロチョイス派の大多数も同じ意見だろう。繰り返すが、与えられた中絶権を行使したいからという理由でわざわざ妊娠する女性などいない。

2:日本には「堕胎罪」があり、堕胎(中絶)は原則として犯罪である。

 あらゆる中絶は原則として「堕胎罪」に該当する。(刑法212条〜216条)
 このうち、「妊娠中の女性本人の同意がない堕胎を行うこと」は「不同意堕胎罪」となる。例えば、以下のようなケースである。

www.jiji.com

 これが犯罪とみなされることについては、議論の余地がないだろう。ちなみに不同意堕胎罪の量刑は「6か月以上7年以下の懲役」となっている。

 堕胎罪の類型のうち、残りは
 「1:妊娠中の女性本人が何らかの手段を使って堕胎する」
 「2:女性本人に頼まれた人が、何らかの手段によってその女性を堕胎させる」
 「3:医療関係者が女性本人に頼まれてその女性を堕胎させる」の3パターンで、【軽1>2>3重】の順に刑は重くなる。特に3においては女性が死傷したケースではさらに刑が重くなっている。医師は通常、治療行為において、刑法上は過失がない限り患者の障害・死亡の責任を問われないが、堕胎(中絶)は治療行為とみなされないのでこうなっていると考えられる。

 ただし、これら3つの堕胎罪は母体保護法の制定により空文化した。いまや、各規定は堕胎は原則犯罪(なので、合法的に実施するには条件が必要)、というルールを形作っているにすぎない。

3:1948年の「優生保護法(現:母体保護法)」は、「医師に」「特定の条件下において」人工妊娠中絶を行うことを認めた(詳細は次項)。

 現在の母体保護法においてもなお、中絶という行為の主体は医師であって、女性ではない。女性(およびその配偶者)は、前提条件を満たしている場合に、医師が中絶手術を行うことに同意できるだけであって、最終的な決定権者ではない、というのが、現在に至るまでの日本の「合法的妊娠中絶」の立て付けとなっている。

 こうした立て付けの背景には、戦後の特殊事情がある。
 戦後、植民地としていた中国などから日本人入植者が引き上げたが、その際に多くの女性が性的暴行を受け、妊娠していたのだ。つい最近語られるようになった、黒川開拓団の件を聞き及んでいる人も少なくなかろう。

gendai.ismedia.jp

 彼女たちを望まぬ妊娠から解放(レイプ被害によってできた胎児を中絶)したい。この目的で、博多引揚援護局は二日市保養所という施設を作り、その黙認の下、中絶手術が行われた。その数は延べ500件近くとも言われ、この時点ではすべて違法(堕胎罪)である。

 戦後の日本は極めて治安が悪く、引揚者以外でもレイプによる望まない妊娠は起きていた。これに対応すべく、全ての医師が合法的に中絶手術を行えるように制定されたのが、優生保護法となる。あくまで、「医師による中絶手術が違法とならないように」という視点で、中絶合法化の議論がスタートしているのだ。*1

 当初、中絶の理由として認められたのは母体の危険だったが、対象は徐々に拡大し、1952年には経済的理由の中絶も認められるようになった。1950年代にすでに「経済的理由による中絶(実質なんでもあり)」が認められていた、というのは、世界でもかなり早期の部類に入る。
 女性の権利拡大運動に伴い、概ね1960年代後半から70年代に法改正されるというのが、欧米のいわゆる「人権先進国」における中絶合法化の標準的な流れだった*2が、日本における中絶の合法化は全く違う流れを辿った。日本で合法的な中絶が早期に・幅広く認められていたにも関わらず「女性の決定権」が軽んじられているのも、おそらくはここに理由がある。

 いずれにしても、優生保護法母体保護法は、あくまで「医師が、関係者の同意を得て中絶・断種を行うことを認める」という立て付けであることが、現在の中絶をめぐるさまざまな問題の根源となっている。

4:現在の母体保護法の下で医師が合法的に中絶するには、女性だけでなくパートナーの同意も原則として必要。

 母体保護法第14条は、「都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる」としている。つまり、主語(中絶行為の主体)は医師であり、中絶を行う前提は「(女性)本人と配偶者(男性)の同意」となる。

 なお、この配偶者というのは法律上の婚姻関係にある男性だけでなく、同棲相手や恋人などを含むパートナー全般、要は「父親である可能性のある男性」と解釈されている。「パートナー全般の同意を求める」という運用では、以下のようなケースで「女性が望んでいても中絶が行えない」という問題が生まれてしまう。

A:女性は中絶を望んでいるが、パートナーが反対しているために同意を取り付けることができない。

 パートナー関係には特に問題はないが、妊娠の継続の面で合意形成ができていないパターン。育児負担が女性に偏っている一方で、女性の社会進出も進む以上、特に今後は増えると思われるケースではある。女性の権利という面では、こういうケースでも女性の判断のみで中絶が認められるべきで、中絶関連法の整備のゴールはここに置くべきだが、それ以前に日本に早急に必要なのは、避妊手段の多様化とアクセス向上だ。

 日本では合法的かつ近代的な避妊手段が極めて少ない。不妊手術を別にすると、男性によるコンドームの着用、女性の低容量ピル服用、女性の子宮内避妊具(IUD)しかないのだ。しかもIUDは若者向けの小型のものが承認されていないため、基本的には経産婦のみの適用となっている(実際には医師の判断次第で、未経産婦でも入れてくれる医師もいる)。

 このIUD、実は米国では「10代は装着を推奨」されているのだ。デッドプール2のこのシーンは、IUDの装着がどれだけ米国の若者にとって身近であるかを象徴しているように思う。

www.youtube.com
 そのほかにもインプラントやパッチ、リング、注射など、女性側で選ぶことのできる避妊法も数多く存在している。日本は国連加盟国で低容量ピルの承認が1999年と二番目に遅く(最後は北朝鮮)、現在も避妊手段の選択肢はネパールやアフガニスタン以下にとどまっているのだ。これについては、「#なんでないの プロジェクト」が詳しいので、関心のある人はご確認いただきたい。

www.nandenaino.com

 
 ちなみに、コンドームは他の避妊手段よりも効果が低く、膣外射精やリズム法(安全日狙い、オギノ式)に至っては近代的な避妊法とは考えられていない。にも関わらず、2015年の時点でカップルの39.8%が避妊を行なっており、避妊をしているカップルのうち17.7%が膣外射精を、3.3%がリズム法を避妊法として利用している(コンドームは77.4%、ピルは2.3%)。女性の主導で効果的な避妊手段が選べるようになれば、Aのケースは例外中の例外となるはずだ。

B:女性は中絶を望んでいる、もしくはそもそも妊娠を望んでいなかったが、そもそもDVや夫婦間レイプの結果として妊娠しているため、パートナーの同意を取り付けることができない。

 パートナーとしての関係に問題があるため、女性の意思が尊重されないケース。これはさらに二つのパターンに分けられ、「別居等、客観的に見ても明らかにパートナー関係が破綻しており、女性の意思がしっかり固まっているケース」と、「経済的・精神的な依存も含めて、女性が家庭から脱出できておらず、形式上はパートナー関係が成立しているケース(ケースAのように見える)」がありうる。

 従来はこのケースについては、配偶者の合意が不可欠であり、女性の意思だけでは如何することもできなかった。少なくとも前者のケースについては配偶者の同意を不要としてよい、というのが、2021年3月に厚労省が示した方針だ。

mainichi.jp

 当該記事のブコメでも指摘されているが、この方針では後者のケースを医師個人が判断するのは非常に難しく、実効性が弱まる懸念が高い。この懸念は、特に次のケースで現在多くの問題が起きていることを踏まえると、かなり蓋然性がある。

C:女性は中絶を望んでいるが、パートナーが不在(別れた、行きずり、性的暴行など)であり、したがって同意を取り付けることができない。

 このケースは、本来であればパートナーの同意は不要である。しかし、それでも意思がパートナーの同意を求めるケースが後をたたないのには、二つの理由がある。
 一つ目は、母体保護法の条文構成そのものにある。
 

第十四条 都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。

一 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの

二 暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの

2 前項の同意は、配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなつたときには本人の同意だけで足りる。

 これを条文通りに読むと、「レイプによって妊娠した場合は、本人およびパートナーの同意あれば中絶できる。ただし、同意が取り付けられないときは本人の同意だけでもよい」となってしまう。逆に言えば、「同意が取り付けられないのでなければ、レイプによる妊娠の中絶にもパートナーの同意が必要」となる。これに違反した場合、医師は不同意堕胎罪に問われるわけだ。

 では、医師はどうすれば「これは確かに同意が取り付けられないケースだ」と判断できるだろうか。ぶっちゃけできないよね。っていうか、なんとなくわかってても、もし違ってたら自分が刑事犯になるわけで、だったらなんとかしてパートナーの同意を取ってきてください、じゃないと怖くて中絶手術できませんってなるよね。そらそうよ。

 二つ目の理由は、この条文に関して1996年に厚生省(現・厚生労働省)が出した通達だ。
 この通達自体は、「レイプによる妊娠ならパートナーの同意はいらないっていう項だけど、『暴行もしくは脅迫』は物理的に殴る事に限らないよ。概ね刑法で強姦罪が成立する場合には、本項も適用されるよ」という趣旨だったのだが、但し書きがあり、そこが問題を引き起こしている。

(母体保護)法第一四条第一項第二号の「暴行若しくは脅迫」とは、必ずしも有形的な暴力行為による場合だけをいうものではないこと。ただし、この認定は相当厳格に行う必要があり、いやしくもいわゆる和姦によって妊娠した者が、この規定に便乗して人工妊娠中絶を行うことがないよう十分指導されたいこと。

 つまり、医師に対して「レイプじゃないのにレイプされたっていって安易にパートナーの合意なしに中絶するような不埒な女性が現れないように、しっかり女性たちを指導してね!レイプの認定は厳しくね!」と、わざわざ念押ししてしまったわけだ。

 ここでも、「レイプの認定を厳しく行い、女性たちを指導する」のは医師の役割となる。近年、周知が進んできた通り、レイプというのはかなり認定のハードルが高い犯罪であり、日本においてはそれが特に顕著だ。
 警察でさえなかなか認定してくれないレイプを「厳しく認定」しろと言われて、医師が独力で「これはレイプだね、間違いない」と判断できるか?できないよね。しかも、もし判断を間違えたら不同意堕胎罪に問われるし、同意を取るべきパートナーからは損害賠償だって請求される。そんなリスクまみれの判断、誰もしたくないじゃん。

 「レイプの場合や、同意を取り付けられない場合はパートナーの合意は不要」という条項が有名無実化しているのには、こうした経緯がある。一概に同意を求める医師を避難するのは筋違いで、そもそも法律の立て付けや避妊手段の多様化とアクセス向上を推進しなければ、根本的な解決には至らない。

 

結論:女性を守ることを考えるのであれば、女性の意思のみで中絶ができるようにするのが、人権の面でも、法的に考えても、最善かつ合理的である。

 中絶処置は一刻を争う。心理的負担とかそんなことは関係なく、単純に母体への影響が日に日に大きくなり、取れる処置もどんどん少なくなっていく(最終的には中絶ができなくなる)のだ。
 それを行うに当たっての判断を犯罪や家族社会学の専門でもなんでもない医師に委ねる、しかも判断の基準が曖昧にも関わらず誤った場合には刑事犯に問うという現在の仕組みは、一刻も早い対応が必要な中絶にはそぐわない。

 まずは堕胎罪自体を撤廃し、中絶の主体を妊娠した女性本人とした上で、「女性は個人の判断に基づき医師に中絶処置を依頼できる。医師は女性に医学的見地からの助言(これは中絶の阻止というより、必要に応じた継続的な避妊に誘導することが目的)を行い、女性の意思に基づいて中絶処置を行う」とすることで、医師に法的リスクを負わせることなく、望む女性は中絶手術を受けられるようになる。
 一方、不同意堕胎罪だが、こちらは女性に対する暴行・傷害として、傷害罪の一部に移し替えればいいだろう。

 

補足:中絶方法と、服用中絶薬の導入について
 産婦人科医の遠見才希子医師(えんみちゃん)による記事に詳しいが、日本で主な中絶術式となっている掻爬法は、WHOが非推奨としている。逆に主流となっているのは服薬による中絶で、妊娠初期に限られるものの、かなり安全に(とはいえ出血を伴い、「楽」ではないので、好き好んで飲むものにはなり得ない)、母体への後遺症もなく中絶を実施できる。金額的にも負担は小さい。

 現在、日本国内では、中絶薬は承認されていないが、欧米とは別の中絶薬の治験が進んでいると聞いている。とはいえ、中絶薬の承認はあくまで技術面での前進であり、女性の判断が尊重されるための根本的な障害を解決しなければ無意味となってしまう。そもそも女性が自ら選ぶ避妊がもっと普及すれば、中絶も、中絶薬も、緊急避妊薬も、必要とされる頻度は減るはずだ。

*1:優生保護法は米の女性活動家マーガレット・サンガーの「産児調節運動」に影響を受け、かねてから女性を守るための避妊・中絶の権利を訴えていた衆議院議員加藤シヅエなどが提案したものだった。ただし、この頃の産児調節論には優生学的な視点からの障害者などの断種も含まれており、優生保護法の改正により中絶の容認条件が拡大されると同時に、「障害者(精神障害者知的障害者ハンセン氏病罹患者など)」も断種や中絶の対象とするようになった。現在、調査の進む強制不妊手術問題は、この議論の延長上にある。

*2:いわゆる「先進国(=欧米)」が必ずしも中絶合法化に先んじていた訳ではない。たとえばカトリック勢力の強いポルトガルアイルランドなどは21世紀に入るまで中絶を禁止していたし、中米では今も全面的に禁止されている国があるが、社会主義国キューバでは1965年に合法化されている。

〇〇ジャパという言葉はなぜ(ICUで)生まれたか

 こんなブログが話題になっていた。

純ジャパ文系エンジニアが語る海外で1XXX万円稼ぐ英語術 - yuseinishiyama.com

 単純に、英語(というか言語)を整理して考えるのに、良いヒントをくれる記事だと思う。

 ところで、ブコメは記事の本題ではない「純ジャパ」という言葉を巡って揺れている。

 (タイトルからすると、確かに煽りというかmemeを意識したものではあるのだろうが)

 少し前には、外語大が「純ジャパ」という言葉を使って差別的なアンケートをしたとして、軽く炎上していた。

東京外大のゼミ、「純ジャパ」問うアンケート 学長謝罪:朝日新聞デジタル

 この中で、〇〇ジャパという言葉は、排外的な意味を与えられているようだった。おそらく、ブコメが純ジャパという言葉を巡って揺れているのも、純ジャパという言葉に同じようなニュアンスを感じ取った人が多いからなのだろう。

 しかし、本来「〇〇ジャパ」という言葉に排外的な意味はなかった。むしろ逆だ。排外的な表現を避けるために作られたのが、「〇〇ジャパ」という言葉なのだ。

 〇〇ジャパという言葉の由来は、国際基督教大学ICU)にある。そして、発生時期はおそらく1950年代にまで遡る。なぜなら、この言葉はICUの初代総長、湯浅八郎の思想に根ざしているからだ。  

 湯浅八郎は、「ICUに外人なし」と言った。

 当時、まだ外国人はガイジンと呼ばれることが多かったが、これは文字通りよその人、「我々の仲間ではない人」を指す言葉だ。もう少し遡れば異人という言葉もあったが、これも同様に「我々と異なる人」という意味がある。

 ICUにいる人々(関係者は、しばしばICUファミリーと呼ぶ)は、さまざまな違いはあっても皆仲間であるというのが、湯浅の考えだった。そこから日本人(ジャパニーズ)と日本人ではない人(ノンジャパニーズ)という用語が作られた。後者は略してノンジャパと呼ばれ、これが一連の「〇〇ジャパ」の中で最初にできた言葉だと、ICU生は入学時にいろんな人から教えられる。  

 さて、ノンジャパニーズとジャパニーズといったが、ジャパニーズの中でも結構な違いがある。帰国子女でそれまでの大部分を海外で過ごし、語学プログラムでは英語じゃなくて日本語を学ぶ人。これは、「ジャパニーズの系譜を引いているが文化的にはそれ以外の素養が多い」ので「半ジャパ」と呼ばれる。この場合の半は半分ではなく、折衷くらいの意味だろう。

 一方、日本生まれで日本育ち、純粋に日本の文化の中で育った人というのも、それなりにICUには存在する。ICUに来る時点で、ある程度欧米かぶれの環境で育った可能性は高いが、バックグラウンドを問われれば、あらゆる意味で日本要素しかない。こういう人を、上記のノンジャパ、半ジャパとの対比で「純ジャパ」と呼んだ。この文脈では、純血みたいな選民的なニュアンスはゼロで、純粋培養まじりっけなし、くらいの意味しかない。

 ICUというのは、英日両言語が公用語とされている環境だ。ただし、どちらか一つしか表記しない時は英語が選ばれる傾向にある。周りには海外経験を経て超イケてる、というか日本育ちだとすっ飛んでんなあと思うくらい飛ばしてる人が少なくない(少なくとも、私が学生だった頃はそうだった)。センター試験で英語9割は「英語ができない方」扱い。ICUに来る学生なんて、大概英語には自信を持っているはずだが、最初の数日でその自信は完膚なきまでにぶち壊される。残っているのは、「英語があんまりできない以外は普通の人」の自分だ。

 純ジャパというのは、決して血筋を自慢するためのものではなく、むしろ「たいした取り柄のない、どこにでもいそうなただの日本人」である自分たちに対する、自虐的な呼び方なのだ。もしくは単に、「ICUにいるファミリーのうち、出自がジャパニーズな人」くらいのニュアンスしかない。

   冒頭の記事で使われている「純ジャパ」は、ほぼ間違いなく「英語がろくにできなかった(し、理系の知識もなかった)平凡な人間」という、ICU的ニュアンスで使われている。

 その上で、「こうやって整理して考えれば英語は上手く理解できる(し、理系の知識もなかったけど理系分野で仕事もできている)よ」という意図を持って書かれている文章なのは、一読すればわかるだろう。

 ICUというのは英語ができてなんぼの学校であり、たまに「ICUを卒業したのに英語ができないこと」を自慢する人が出てくるほど、英語力と国際性がアイデンティティとなっている。そこで生まれたノンジャパ、純ジャパという言葉が、他の環境に持ち出されて、全く違う意味、時には逆の意味を持つようになったというのは、言語学的には大変面白いことなのだが、ICUの精神からすると悲しいことでもある。

 ICUに外人はいない。いるのは、さまざまなバックグラウンドを持った仲間だ。

 ということを、今後〇〇ジャパという言葉が話題に上がった時にリンク貼って済ませたいと思って、記事を書いておく。