日本の中絶にかかわる論点・まとめメモ

ショートバージョン:
・今の日本の中絶の主語(主体)は「医師」で、女性の同意は医師が中絶をするときに必要な前提条件の一つでしかないという構造が根本的な問題だよ。
・女性の同意だけでなく、パートナーの同意も、医師が合法的に中絶するための前提条件になっているよ。これを満たさない中絶は、医師の不法行為になってしまうよ。
・パートナーがいない場合は当然パートナーの同意はいらないんだけど、かつて厚労省が「実はパートナーがいるけどいないってことにして中絶、っていうけしからん女性が出てこないようにきっちり指導してね」と言ったので、医師目線だとパートナーの同意なしで実施するのはやっぱ怖くてできないよ。

解決案:刑法を改正し、堕胎罪をなくして、不同意堕胎罪のみにしよう。なおかつ、優生保護法を改正して、中絶は妊娠中の女性本人の同意だけで認められるようにしよう。

 私はこの分野を研究した訳ではなく、たまたま情報が集まりやすい仕事をしていただけなので、私が知っている範囲の論点をメモしておきます。 ご指摘、補足は歓迎です。

1:胎児の権利は、日本の現行法では存在しない。

 他の多くの先進国と同様、日本においてもヒトは基本的に出生を持って法的人格を与えられる(法律上、権利を持つひとりの人間とみなされる)。裏を返すと、母胎内にいる胎児は、どれほど成長していても、出生前は人とみなされない。出生の基準は、「胎児の一部分が母体から外に出た瞬間」となる。
 したがって、よくある「中絶は胎児の殺人」「胎児の意思を尊重していない/胎児の同意はどうなってる」は法的に全く無意味な主張である。これは、議論の大前提だ。
 実は相続においては例外があるのだが、中絶を論じるにおいては関係ないのでここでは論じない。

 個人的には、「胎児の権利を主張するのであれば、女性が出産を選ぶような対案・対策を提供すべきだ」と考えている。
 例えばマザー・テレサカトリックであるから中絶には反対だったが、ただ反対・禁止するのではなく、「中絶するくらいなら、私たちが育てますから産んであげてください」と訴えた。対案を提示しており、実績もある時点で、その主張には一定の理はあると、私は考える。熊本慈恵病院の「こうのとりのゆりかご(いわゆる”赤ちゃんポスト”)」も同じで、同病院はカトリック系であるために中絶は受け入れていないが、きちんと対案を提示している点で誠実と言えよう。

 実際、出産することの肉体的負担をフォローし、出産後の養育も養子縁組などの形で社会が完全に面倒を見る社会であれば、少なくとも経済的理由のみを原因とする中絶は減るだろう。それもできずに(対案を出さずに)女性に負担を耐えしのべというのは身勝手・無責任でしかない。

 中絶は精神的にも肉体的にも負担が大きい(日本では、経済的な負担も大きい)。この世に、中絶したくて妊娠する女性などいないのだ。プロチョイス(中絶権擁護)派は、中絶そのものより避妊などの手段で望まない妊娠を防ぐことを目指している。中絶は、望まない妊娠が防げなかった場合の苦渋の選択でしかない。そして、避妊手段に関して、日本は世界でも最低水準にある。女性の体がほとんど守られていない社会なのだ。中絶をやめさせたいというなら、このことを忘れてはならない。
 
 なお、私はプロチョイスの立場ではあるが、本来は「中絶が起きない社会を作らなくてはならない」という意味で中絶反対である。中絶を選ぶ女性に反対しているのではなく、中絶が必要となる社会に反対しているのであり、おそらくプロチョイス派の大多数も同じ意見だろう。繰り返すが、与えられた中絶権を行使したいからという理由でわざわざ妊娠する女性などいない。

2:日本には「堕胎罪」があり、堕胎(中絶)は原則として犯罪である。

 あらゆる中絶は原則として「堕胎罪」に該当する。(刑法212条〜216条)
 このうち、「妊娠中の女性本人の同意がない堕胎を行うこと」は「不同意堕胎罪」となる。例えば、以下のようなケースである。

www.jiji.com

 これが犯罪とみなされることについては、議論の余地がないだろう。ちなみに不同意堕胎罪の量刑は「6か月以上7年以下の懲役」となっている。

 堕胎罪の類型のうち、残りは
 「1:妊娠中の女性本人が何らかの手段を使って堕胎する」
 「2:女性本人に頼まれた人が、何らかの手段によってその女性を堕胎させる」
 「3:医療関係者が女性本人に頼まれてその女性を堕胎させる」の3パターンで、【軽1>2>3重】の順に刑は重くなる。特に3においては女性が死傷したケースではさらに刑が重くなっている。医師は通常、治療行為において、刑法上は過失がない限り患者の障害・死亡の責任を問われないが、堕胎(中絶)は治療行為とみなされないのでこうなっていると考えられる。

 ただし、これら3つの堕胎罪は母体保護法の制定により空文化した。いまや、各規定は堕胎は原則犯罪(なので、合法的に実施するには条件が必要)、というルールを形作っているにすぎない。

3:1948年の「優生保護法(現:母体保護法)」は、「医師に」「特定の条件下において」人工妊娠中絶を行うことを認めた(詳細は次項)。

 現在の母体保護法においてもなお、中絶という行為の主体は医師であって、女性ではない。女性(およびその配偶者)は、前提条件を満たしている場合に、医師が中絶手術を行うことに同意できるだけであって、最終的な決定権者ではない、というのが、現在に至るまでの日本の「合法的妊娠中絶」の立て付けとなっている。

 こうした立て付けの背景には、戦後の特殊事情がある。
 戦後、植民地としていた中国などから日本人入植者が引き上げたが、その際に多くの女性が性的暴行を受け、妊娠していたのだ。つい最近語られるようになった、黒川開拓団の件を聞き及んでいる人も少なくなかろう。

gendai.ismedia.jp

 彼女たちを望まぬ妊娠から解放(レイプ被害によってできた胎児を中絶)したい。この目的で、博多引揚援護局は二日市保養所という施設を作り、その黙認の下、中絶手術が行われた。その数は延べ500件近くとも言われ、この時点ではすべて違法(堕胎罪)である。

 戦後の日本は極めて治安が悪く、引揚者以外でもレイプによる望まない妊娠は起きていた。これに対応すべく、全ての医師が合法的に中絶手術を行えるように制定されたのが、優生保護法となる。あくまで、「医師による中絶手術が違法とならないように」という視点で、中絶合法化の議論がスタートしているのだ。*1

 当初、中絶の理由として認められたのは母体の危険だったが、対象は徐々に拡大し、1952年には経済的理由の中絶も認められるようになった。1950年代にすでに「経済的理由による中絶(実質なんでもあり)」が認められていた、というのは、世界でもかなり早期の部類に入る。
 女性の権利拡大運動に伴い、概ね1960年代後半から70年代に法改正されるというのが、欧米のいわゆる「人権先進国」における中絶合法化の標準的な流れだった*2が、日本における中絶の合法化は全く違う流れを辿った。日本で合法的な中絶が早期に・幅広く認められていたにも関わらず「女性の決定権」が軽んじられているのも、おそらくはここに理由がある。

 いずれにしても、優生保護法母体保護法は、あくまで「医師が、関係者の同意を得て中絶・断種を行うことを認める」という立て付けであることが、現在の中絶をめぐるさまざまな問題の根源となっている。

4:現在の母体保護法の下で医師が合法的に中絶するには、女性だけでなくパートナーの同意も原則として必要。

 母体保護法第14条は、「都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる」としている。つまり、主語(中絶行為の主体)は医師であり、中絶を行う前提は「(女性)本人と配偶者(男性)の同意」となる。

 なお、この配偶者というのは法律上の婚姻関係にある男性だけでなく、同棲相手や恋人などを含むパートナー全般、要は「父親である可能性のある男性」と解釈されている。「パートナー全般の同意を求める」という運用では、以下のようなケースで「女性が望んでいても中絶が行えない」という問題が生まれてしまう。

A:女性は中絶を望んでいるが、パートナーが反対しているために同意を取り付けることができない。

 パートナー関係には特に問題はないが、妊娠の継続の面で合意形成ができていないパターン。育児負担が女性に偏っている一方で、女性の社会進出も進む以上、特に今後は増えると思われるケースではある。女性の権利という面では、こういうケースでも女性の判断のみで中絶が認められるべきで、中絶関連法の整備のゴールはここに置くべきだが、それ以前に日本に早急に必要なのは、避妊手段の多様化とアクセス向上だ。

 日本では合法的かつ近代的な避妊手段が極めて少ない。不妊手術を別にすると、男性によるコンドームの着用、女性の低容量ピル服用、女性の子宮内避妊具(IUD)しかないのだ。しかもIUDは若者向けの小型のものが承認されていないため、基本的には経産婦のみの適用となっている(実際には医師の判断次第で、未経産婦でも入れてくれる医師もいる)。

 このIUD、実は米国では「10代は装着を推奨」されているのだ。デッドプール2のこのシーンは、IUDの装着がどれだけ米国の若者にとって身近であるかを象徴しているように思う。

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 そのほかにもインプラントやパッチ、リング、注射など、女性側で選ぶことのできる避妊法も数多く存在している。日本は国連加盟国で低容量ピルの承認が1999年と二番目に遅く(最後は北朝鮮)、現在も避妊手段の選択肢はネパールやアフガニスタン以下にとどまっているのだ。これについては、「#なんでないの プロジェクト」が詳しいので、関心のある人はご確認いただきたい。

www.nandenaino.com

 
 ちなみに、コンドームは他の避妊手段よりも効果が低く、膣外射精やリズム法(安全日狙い、オギノ式)に至っては近代的な避妊法とは考えられていない。にも関わらず、2015年の時点でカップルの39.8%が避妊を行なっており、避妊をしているカップルのうち17.7%が膣外射精を、3.3%がリズム法を避妊法として利用している(コンドームは77.4%、ピルは2.3%)。女性の主導で効果的な避妊手段が選べるようになれば、Aのケースは例外中の例外となるはずだ。

B:女性は中絶を望んでいる、もしくはそもそも妊娠を望んでいなかったが、そもそもDVや夫婦間レイプの結果として妊娠しているため、パートナーの同意を取り付けることができない。

 パートナーとしての関係に問題があるため、女性の意思が尊重されないケース。これはさらに二つのパターンに分けられ、「別居等、客観的に見ても明らかにパートナー関係が破綻しており、女性の意思がしっかり固まっているケース」と、「経済的・精神的な依存も含めて、女性が家庭から脱出できておらず、形式上はパートナー関係が成立しているケース(ケースAのように見える)」がありうる。

 従来はこのケースについては、配偶者の合意が不可欠であり、女性の意思だけでは如何することもできなかった。少なくとも前者のケースについては配偶者の同意を不要としてよい、というのが、2021年3月に厚労省が示した方針だ。

mainichi.jp

 当該記事のブコメでも指摘されているが、この方針では後者のケースを医師個人が判断するのは非常に難しく、実効性が弱まる懸念が高い。この懸念は、特に次のケースで現在多くの問題が起きていることを踏まえると、かなり蓋然性がある。

C:女性は中絶を望んでいるが、パートナーが不在(別れた、行きずり、性的暴行など)であり、したがって同意を取り付けることができない。

 このケースは、本来であればパートナーの同意は不要である。しかし、それでも意思がパートナーの同意を求めるケースが後をたたないのには、二つの理由がある。
 一つ目は、母体保護法の条文構成そのものにある。
 

第十四条 都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。

一 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの

二 暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの

2 前項の同意は、配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなつたときには本人の同意だけで足りる。

 これを条文通りに読むと、「レイプによって妊娠した場合は、本人およびパートナーの同意あれば中絶できる。ただし、同意が取り付けられないときは本人の同意だけでもよい」となってしまう。逆に言えば、「同意が取り付けられないのでなければ、レイプによる妊娠の中絶にもパートナーの同意が必要」となる。これに違反した場合、医師は不同意堕胎罪に問われるわけだ。

 では、医師はどうすれば「これは確かに同意が取り付けられないケースだ」と判断できるだろうか。ぶっちゃけできないよね。っていうか、なんとなくわかってても、もし違ってたら自分が刑事犯になるわけで、だったらなんとかしてパートナーの同意を取ってきてください、じゃないと怖くて中絶手術できませんってなるよね。そらそうよ。

 二つ目の理由は、この条文に関して1996年に厚生省(現・厚生労働省)が出した通達だ。
 この通達自体は、「レイプによる妊娠ならパートナーの同意はいらないっていう項だけど、『暴行もしくは脅迫』は物理的に殴る事に限らないよ。概ね刑法で強姦罪が成立する場合には、本項も適用されるよ」という趣旨だったのだが、但し書きがあり、そこが問題を引き起こしている。

(母体保護)法第一四条第一項第二号の「暴行若しくは脅迫」とは、必ずしも有形的な暴力行為による場合だけをいうものではないこと。ただし、この認定は相当厳格に行う必要があり、いやしくもいわゆる和姦によって妊娠した者が、この規定に便乗して人工妊娠中絶を行うことがないよう十分指導されたいこと。

 つまり、医師に対して「レイプじゃないのにレイプされたっていって安易にパートナーの合意なしに中絶するような不埒な女性が現れないように、しっかり女性たちを指導してね!レイプの認定は厳しくね!」と、わざわざ念押ししてしまったわけだ。

 ここでも、「レイプの認定を厳しく行い、女性たちを指導する」のは医師の役割となる。近年、周知が進んできた通り、レイプというのはかなり認定のハードルが高い犯罪であり、日本においてはそれが特に顕著だ。
 警察でさえなかなか認定してくれないレイプを「厳しく認定」しろと言われて、医師が独力で「これはレイプだね、間違いない」と判断できるか?できないよね。しかも、もし判断を間違えたら不同意堕胎罪に問われるし、同意を取るべきパートナーからは損害賠償だって請求される。そんなリスクまみれの判断、誰もしたくないじゃん。

 「レイプの場合や、同意を取り付けられない場合はパートナーの合意は不要」という条項が有名無実化しているのには、こうした経緯がある。一概に同意を求める医師を避難するのは筋違いで、そもそも法律の立て付けや避妊手段の多様化とアクセス向上を推進しなければ、根本的な解決には至らない。

 

結論:女性を守ることを考えるのであれば、女性の意思のみで中絶ができるようにするのが、人権の面でも、法的に考えても、最善かつ合理的である。

 中絶処置は一刻を争う。心理的負担とかそんなことは関係なく、単純に母体への影響が日に日に大きくなり、取れる処置もどんどん少なくなっていく(最終的には中絶ができなくなる)のだ。
 それを行うに当たっての判断を犯罪や家族社会学の専門でもなんでもない医師に委ねる、しかも判断の基準が曖昧にも関わらず誤った場合には刑事犯に問うという現在の仕組みは、一刻も早い対応が必要な中絶にはそぐわない。

 まずは堕胎罪自体を撤廃し、中絶の主体を妊娠した女性本人とした上で、「女性は個人の判断に基づき医師に中絶処置を依頼できる。医師は女性に医学的見地からの助言(これは中絶の阻止というより、必要に応じた継続的な避妊に誘導することが目的)を行い、女性の意思に基づいて中絶処置を行う」とすることで、医師に法的リスクを負わせることなく、望む女性は中絶手術を受けられるようになる。
 一方、不同意堕胎罪だが、こちらは女性に対する暴行・傷害として、傷害罪の一部に移し替えればいいだろう。

 

補足:中絶方法と、服用中絶薬の導入について
 産婦人科医の遠見才希子医師(えんみちゃん)による記事に詳しいが、日本で主な中絶術式となっている掻爬法は、WHOが非推奨としている。逆に主流となっているのは服薬による中絶で、妊娠初期に限られるものの、かなり安全に(とはいえ出血を伴い、「楽」ではないので、好き好んで飲むものにはなり得ない)、母体への後遺症もなく中絶を実施できる。金額的にも負担は小さい。

 現在、日本国内では、中絶薬は承認されていないが、欧米とは別の中絶薬の治験が進んでいると聞いている。とはいえ、中絶薬の承認はあくまで技術面での前進であり、女性の判断が尊重されるための根本的な障害を解決しなければ無意味となってしまう。そもそも女性が自ら選ぶ避妊がもっと普及すれば、中絶も、中絶薬も、緊急避妊薬も、必要とされる頻度は減るはずだ。

*1:優生保護法は米の女性活動家マーガレット・サンガーの「産児調節運動」に影響を受け、かねてから女性を守るための避妊・中絶の権利を訴えていた衆議院議員加藤シヅエなどが提案したものだった。ただし、この頃の産児調節論には優生学的な視点からの障害者などの断種も含まれており、優生保護法の改正により中絶の容認条件が拡大されると同時に、「障害者(精神障害者知的障害者ハンセン氏病罹患者など)」も断種や中絶の対象とするようになった。現在、調査の進む強制不妊手術問題は、この議論の延長上にある。

*2:いわゆる「先進国(=欧米)」が必ずしも中絶合法化に先んじていた訳ではない。たとえばカトリック勢力の強いポルトガルアイルランドなどは21世紀に入るまで中絶を禁止していたし、中米では今も全面的に禁止されている国があるが、社会主義国キューバでは1965年に合法化されている。