〇〇ジャパという言葉はなぜ(ICUで)生まれたか
こんなブログが話題になっていた。
純ジャパ文系エンジニアが語る海外で1XXX万円稼ぐ英語術 - yuseinishiyama.com
単純に、英語(というか言語)を整理して考えるのに、良いヒントをくれる記事だと思う。
ところで、ブコメは記事の本題ではない「純ジャパ」という言葉を巡って揺れている。
(タイトルからすると、確かに煽りというかmemeを意識したものではあるのだろうが)
少し前には、外語大が「純ジャパ」という言葉を使って差別的なアンケートをしたとして、軽く炎上していた。
東京外大のゼミ、「純ジャパ」問うアンケート 学長謝罪:朝日新聞デジタル
この中で、〇〇ジャパという言葉は、排外的な意味を与えられているようだった。おそらく、ブコメが純ジャパという言葉を巡って揺れているのも、純ジャパという言葉に同じようなニュアンスを感じ取った人が多いからなのだろう。
しかし、本来「〇〇ジャパ」という言葉に排外的な意味はなかった。むしろ逆だ。排外的な表現を避けるために作られたのが、「〇〇ジャパ」という言葉なのだ。
〇〇ジャパという言葉の由来は、国際基督教大学(ICU)にある。そして、発生時期はおそらく1950年代にまで遡る。なぜなら、この言葉はICUの初代総長、湯浅八郎の思想に根ざしているからだ。
当時、まだ外国人はガイジンと呼ばれることが多かったが、これは文字通りよその人、「我々の仲間ではない人」を指す言葉だ。もう少し遡れば異人という言葉もあったが、これも同様に「我々と異なる人」という意味がある。
ICUにいる人々(関係者は、しばしばICUファミリーと呼ぶ)は、さまざまな違いはあっても皆仲間であるというのが、湯浅の考えだった。そこから日本人(ジャパニーズ)と日本人ではない人(ノンジャパニーズ)という用語が作られた。後者は略してノンジャパと呼ばれ、これが一連の「〇〇ジャパ」の中で最初にできた言葉だと、ICU生は入学時にいろんな人から教えられる。
さて、ノンジャパニーズとジャパニーズといったが、ジャパニーズの中でも結構な違いがある。帰国子女でそれまでの大部分を海外で過ごし、語学プログラムでは英語じゃなくて日本語を学ぶ人。これは、「ジャパニーズの系譜を引いているが文化的にはそれ以外の素養が多い」ので「半ジャパ」と呼ばれる。この場合の半は半分ではなく、折衷くらいの意味だろう。
一方、日本生まれで日本育ち、純粋に日本の文化の中で育った人というのも、それなりにICUには存在する。ICUに来る時点で、ある程度欧米かぶれの環境で育った可能性は高いが、バックグラウンドを問われれば、あらゆる意味で日本要素しかない。こういう人を、上記のノンジャパ、半ジャパとの対比で「純ジャパ」と呼んだ。この文脈では、純血みたいな選民的なニュアンスはゼロで、純粋培養まじりっけなし、くらいの意味しかない。
ICUというのは、英日両言語が公用語とされている環境だ。ただし、どちらか一つしか表記しない時は英語が選ばれる傾向にある。周りには海外経験を経て超イケてる、というか日本育ちだとすっ飛んでんなあと思うくらい飛ばしてる人が少なくない(少なくとも、私が学生だった頃はそうだった)。センター試験で英語9割は「英語ができない方」扱い。ICUに来る学生なんて、大概英語には自信を持っているはずだが、最初の数日でその自信は完膚なきまでにぶち壊される。残っているのは、「英語があんまりできない以外は普通の人」の自分だ。
純ジャパというのは、決して血筋を自慢するためのものではなく、むしろ「たいした取り柄のない、どこにでもいそうなただの日本人」である自分たちに対する、自虐的な呼び方なのだ。もしくは単に、「ICUにいるファミリーのうち、出自がジャパニーズな人」くらいのニュアンスしかない。
冒頭の記事で使われている「純ジャパ」は、ほぼ間違いなく「英語がろくにできなかった(し、理系の知識もなかった)平凡な人間」という、ICU的ニュアンスで使われている。
その上で、「こうやって整理して考えれば英語は上手く理解できる(し、理系の知識もなかったけど理系分野で仕事もできている)よ」という意図を持って書かれている文章なのは、一読すればわかるだろう。
ICUというのは英語ができてなんぼの学校であり、たまに「ICUを卒業したのに英語ができないこと」を自慢する人が出てくるほど、英語力と国際性がアイデンティティとなっている。そこで生まれたノンジャパ、純ジャパという言葉が、他の環境に持ち出されて、全く違う意味、時には逆の意味を持つようになったというのは、言語学的には大変面白いことなのだが、ICUの精神からすると悲しいことでもある。
ICUに外人はいない。いるのは、さまざまなバックグラウンドを持った仲間だ。
ということを、今後〇〇ジャパという言葉が話題に上がった時にリンク貼って済ませたいと思って、記事を書いておく。