キリスト教諸教派における中絶の位置付けはどうなっているか

今北産業様向け報告書
キリスト教には諸派あるけど、スウェーデン国教会みたいに、中絶の権利の熱心な推進派の教会もあるよ。なんとカトリックでも、今の教皇は中絶を「罪ではあるが容認(罪を自覚して告解するなら赦しを与える)」派だよ。
・ガチガチの中絶反対派は「アメリカの福音派」「カトリック守旧派ポーランドとか)」あたりだよ。彼らは、自分たちが「多数派・支配層に弾圧されている」「自分たちの信仰の自由を守る必要がある」という考えから中絶を禁止したがっているよ。
アメリカでは福音派は確かに1教派としては最大だけど、もう無宗教無神論者・不可知論者含む)の割合は福音派を上回っているよ。

宗教的背景がー価値観がーっていう人が多かったので、じゃあ今キリスト教諸派はどのような立場をとっているかについてまとめておくね。
といっても宗教については、院で短期間宗教政策論をやったくらいの素人なのですが。

前の記事の補足なので、こちらを先に読んでからご覧ください。

aquatofana.hatenablog.com

 

※寝る前にザクっと書いたので、明日多少直すかも。

 

最初に、ピュー・リサーチ・センターの調査を貼っておく。


以下のページのスクショだ。色々面白い調査結果があるので、関心のある方は是非見てほしい。

https://www.pewresearch.org/religion/religious-landscape-study/#religions

 

1)キリスト教と言っても一枚岩ではない
そもそも、バイデン大統領自身が「リベラルなカトリック」であり、彼と指名を争ったバーニー・サンダースは、無神論者の一種に分類される不可知論者だ。

プロテスタントだけでも、日本では大日本帝国時代の国の統制に従う形でプロテスタントは「日本基督教会」という一宗派という形を取ったが、実際にプロテスタントどという宗派はなく、「西方教会のうちカトリックから独立していろんな教理を抱えた大量の教派」がプロテスタントだ。
ゆえに、彼らの主張も保守的なものから革新的なものまで幅広い。

そもそもプロテスタントの「主流派」である「エキュメニカル派(リベラル派)」は、「聖書はあくまで寓話」くらいの位置付けで見ている。彼らの多くは中絶容認(プロチョイス)側である。まあ、フェミニスト神学なんてのもあるくらいなのでな。
これが14.7%と、福音派よりは少ないものの、そこそこの割合を占める。

主流派の中でも特徴的な教派の一つは、クエーカーだろう。クエーカーオーツのクエーカーな。彼らは「神の前の平等」と「内心の信仰体験」を重視する極めてフラットな集団で、人種差別や性差別などを徹底して排除している。なので教団内での女性の地位も昔から比較的高かったし、第二次大戦中は日系人の権利を守る活動をしていた。第二次大戦後も、「アジアの敵国だったから」となかなか日本のための人道支援が認められなかった時に、仲立ちとなって日系人組織を公認させ、かの有名なララ物資による日本支援を実現させたのも、クエーカーの女性である(のちに東京の普連土学園・園長を務めたエスター・B・ローズ氏)。

クエーカーはそれこそ一人一派というくらい考え方に幅があって(なにしろ不可知論者のクエーカーなんてのもいるみたいなので)、教派としての統一見解を出している訳ではないのだが、ざっと調べたところ、「避妊は100%成功する訳ではないのだから、中絶という課題に目を背けずきちんと向き合う必要がある」「女性を守るための必要悪」「まずは中絶が必要とならないように性について学ぶことが重要」といった見方がちらほらと見受けられる。プロチョイスよりの中道といったところだろうか。

革新側でいうと、スウェーデン国教会(ルター派)は中絶を含む女性の性的自己決定権やセクシュアル・リプロダクティブ・ライツの強力な推進者であり、完全なプロチョイス派である。まあ、ここはそもそも20世紀後半から「女性聖職者」「同性愛聖職者」などの、他の教派ではいまだに検討すらされないような課題についてもバンバンクリアしてきてるような先進的な教会なので、そりゃそうなるだろうなという感じ。アメリカでは大都市にのみ教会を持っている程度でたいした勢力ではないが、国際的なSRHR界隈では大変存在感のある教派と言える。

中絶反対の代表のように名が挙げられがちなカトリックはどうか。といってもカトリックも一枚岩ではなく、それこそ「第二の宗教改革」と呼ばれ、バチカンからは徹底的に拒絶されている解放の神学から、フィクションではだいたい悪の秘密結社になっているイエズス会出身の現教皇フランシスコのような穏健派、ヨハネ・パウロ2世ベネディクト16世などの保守派など幅広い。

なかでもフランシスコは2015年から始まった「いつくしみの特別聖年」で「妊娠中絶をした女性に許しを与える権限を司祭に認める」とし、この「許し」の権限は翌2016年に特別聖年が終わってからも無期限で継続すると宣言した。中絶を推奨はしないものの、必要悪としての事実上の容認である*1

フランシスコは他にも多産を否定し、避妊を推奨するなど、リプロダクティブ・ヘルス/ライツの視点でカトリックの従来の姿勢から大きく舵を切っている。なんでラッツィンガーの前にあんたが選ばれてくれなかったんだ。まあ、ヨハネ・パウロ2世の影響が強すぎたわな。。。

 

2)アメリ宗教右派の根っこにある「被害者意識」と「権力への抵抗」「自由の追求」

一方、保守派の代表はといえば、一連のアレソレでもちょいちょい名前の上がる福音派である。政治の文脈で福音派といった場合、「宗教右派」のことを指していることが多い(前述のクエーカーも、「カトリックを批判し聖書に立ち戻ろうとした」という意味では広義の福音派に含まれる。しかし、アメリカの宗教分類では「主流派」に入れられている)。

アメリ宗教右派についてはそれこそ詳しい人がたくさんいるので、それこそこういうところとかこういうところとかを見ていただくのがいいと思う。ざっくりいうと、「聖書原理主義であり」「政治に積極的に関与することで理想のキリスト教国家を作ろうとしている」という、ありていに言って創価学会の上位互換みたいなもんである(日蓮も政治に関与することで、理想の極楽浄土を日本に造ろうとしてたからね)。

また、彼らは、自分たちの信念、「聖書を字義通りに解釈することによって導かれる正義」を推進することを「抑圧からの解放」「宗教的自由の行使」と定義しているという特徴がある。彼らはあくまで自分たちが弱者側にいると思っているわけだ。

だから、2016年には「多数派、強権、リベラル、フェミニズムなど『自分たちを抑圧するもの』の象徴であるヒラリーから正義を守るために、福音派の価値観には必ずしも合致しないところがあるトランプを選ぶ」という行動をとった。
元々、アメリカは「大きい政府」には懐疑的なところがあって、ドラマや映画なんかでも『連邦』政府は結構悪の親玉だったりするのだが、その懐疑心が教派としての被害者意識にまで達してしまっているのが福音派の特徴といえよう。

ここまで来ると、中絶禁止が彼らにとってなぜこれだけシンボリックなことなのかがわかる。「無辜の子ども」はまさに「リベラルに抑圧されて死ぬ無力な被害者」であり、「多数派に信仰の自由を脅かされる自分たち」を代弁するような存在だ。だからこそ、たとえレイプや近親相姦によるものであっても、中絶は許されない、という理屈になる。
まあ、その考えを正当化するために「本当にレイプなら妊娠しない*2」とかの非科学的なことを主張してしまうんだけども。これは、上述の被害者意識と公正世界仮説が組み合わさってできた妄想であろう。

これと同様の考え方は、ヨーロッパにおけるカトリック保守派の一部にも見られる。前述したフランシスコのリベラルな姿勢は、カトリック保守派からは否定的に見られており、実際に保守派のバックラッシュが、東欧を中心とした一部の国で広がり始めている。

2020年のポーランドでの中絶禁止法可決は、カトリックバックラッシュの象徴だ。
特にポーランドは自分たちはカトリック、つまり西欧側だがロシアに無理やり共産圏に組み込まれたという認識があり、その象徴として共産主義(=無神論)によるカトリック信仰の剥奪が位置付けられているため、カトリック保守主義が国民アイデンティティの中に強く根付いている(ポーランド人であったヨハネ・パウロ2世は、同国の民主化運動の精神的支柱だった)。保守・反動的な思考を持ちながら、信仰に基づく被害者意識、抑圧への敵意が強く魂に刻まれているという意味で、ポーランドカトリック保守の意識はアメリカの宗教右派と近い精神性を持っているといえよう。

ポーランド以外では、ハンガリーでも大きなバックラッシュが見られる。また、全ヨーロッパの保守派が連携して伝統的な価値観を取り戻そうとする動きがあり、その背後にはアメリカの保守派がいるとも言われている。*3

みんなだいすきUN Womenもこの問題については報告書を出しているのを見つけたので、私も後で読む。*4

他にも正教会は、たとえばロシアとかはガチガチの保守だと思うんだけど、詳しくないので誰か補足してほしい。

スウェーデン教会の国際会議での発言を調べていたら、UNFPAスウェーデン教会と共同でこんな資料を作っていたので、これも後で読む)

 

3)アメリカでは、すでに「無宗教無神論者、不可知論者含む)」が3割で、福音派の25%を超えた

福音派バックラッシュによって実現したトランプ政権、およびその下で強引に歪められた最高裁の天秤の傾きにより、アメリカの一部ではあらゆる中絶が違法とされることは、もはや避けられないだろう。とはいえ、それが長く続くとは考えられない。
最初に貼ったピュー・リサーチセンターの調査を見ればわかる通り、すでに「無宗教(特定の宗派に所属しているとは思わない)」は福音派を超えて、アメリカ最大の「教派(?)」となっている。

また、福音派以外の教派もカトリックの21%、主流派(自由主義神学を取るプロテスタント)の15%など、馬鹿にできない数がいる。カトリック保守派あたりは今後、ヒスパニック人口の拡大で多少なりとも増加するかもしれないが、福音派が増える道筋は見えてこない。都市化と有色人種の増加によるアメリカ全体のゆっくりとしたリベラル化は、共和党がどれだけ選挙妨害(ここでは繰り返されるゲリマンダーや有色人種の投票を妨害する本人確認の厳格化、投票所の削減などを指す)を進めようとも止めることはできないだろう。

福音派が教科書を改竄しようが、科学教育を妨害しようが、アメリカは自由の名の下に変わっていく。いずれは、本当に「福音派福音主義を信じる自由」が、他の誰にも迷惑をかけることのない、本来の意味での自由の範囲に収まる日がくるはずだ。彼らは被害妄想を続けるかもしれないが、彼らが他者の自由を侵害しない限り、リベラルは彼らに寛容であろう。
リベラルが「中絶を禁止する権利」を認めないのは、「それが現実に誰か(主に女性、子ども、貧困層)を害することにつながる」からだ。

「自由とは、周囲に迷惑をかけない範囲で、思うがままに振る舞う権利である」(フランス人権宣言)

だからといって、今、危機を迎えている人たちに「数十年後にはマシになるからおとなしく待っていろ」というわけにはいかない。
リプロダクティブ・ヘルス/ライツの特徴として、「感染症などと違って社会的に迅速な対応が必要な危機ではないが、個人単位では『今すぐ』対応しなければ手遅れになってしまう」という点が挙げられる。
いま、避妊手段を手にいれなければ、いつ妊娠してしまうかわからない。
いま、中絶することができなければ、胎児は成長し、母体への負担が大きすぎて中絶ができなくなる。
だからこそ、中絶の権利を守る活動を応援し、声を上げていかなければならない。1日でも長く、中絶の権利を守るために。1日も早く、中絶の権利を取り戻すために。